日本人には死者を美化する、奇妙な風習がある。 死んだ人の悪口は言ってはいけないそうだ。・・・笑止。

 青木雄二が死んだ。矮小な男だった。この男が小手先詐欺漫画を流行らせたおかげで、低脳な模倣犯が増えた。声高に共産主義を叫んでいたが、この男が、稼いだ金を良心的に使ったと云う話を、ついに聞かない。何某かと云う、赤いスポーツカーを自慢していたことだけを覚えている。

 弱者の視点。それが悪いとは思わない。ただ社会人には、富貴を身につけた時に相応の視野・度量を持つ義務がある。・・・青木には理解の出来ないことであろうが。
 共産主義者は財産の国有化(官有化と言った方が妥当)は得意だ。どこの共産国でもこれには成功している。
 だが、肝心の分配が出来ない。分捕ったらそれっきり。共産官僚だけが肥太っていく。
 青木が共産主義を成し遂げたとしても、彼の私財同様に、国財が分配されることは無かっただろう。
 何故なら、彼らは真性の貧者だからである。
 貧者には、生まれながら 施し・寛容・創造の機能が備わっていない。貧者の好む競技がそれを証明しているだろう? 【ギャンブル】、だ。 そこに施しは存在しない、寛容の介在する余地も無く、そして創造の対極に位置する。
 
 なあ、貧しき人々よ。富とは創造していく物だよ。 違うかい?
 俺は肉体労働者だ、親父は母親のヒモで、弟の申請した奨学金は全て審査を通ったよ。まあ、世間一般で言うところの貧乏世帯の生まれだ。
 だが、自分を貧者だと思ったことは一度もない。生まれてこのかた、俺より卑屈な人間ばかりを見て育ったからだ。人物に交わろうと努力したこともある。よき師に従事しようと試みたこともある。
 社会通念的には【立派】とされる人々と意識して、繋がりを求めた。
 だが、彼らには創造の機能が欠けていた。
 『社会や世界と云う物は人間の便宜によって、より善く構築されなければならない。』そんな、当たり前のことを理解できる者があまりにも少なく。仮に理解したとしても、実行に移そうとする者には、未だ巡り合えてはいない。
 富とは既存の枠の中で奪い合うだけの物であろうか? 
 否!! 断じて否!!!! 富は人間の良知によって、無限に生産され続けられなければならないモノだ。そこに人の世ある限りは。
 
 青木に話を戻そう。彼には百識あって、一の良知が無かった。彼の作品には違法行為が数多く(それも誇らしげに)紹介されている。そして、それは【人助け】の為であるとの大義名分を与えている。
 彼は少なくとも、政治を語る資格のある人ではなかったのだ。全てが【私】に拠って立っていた。
 共産主義者には、己のコミューン以外の掟を守ろうとする意志は無い。 俺はそう分析している。今、棲む世界を否定する者に共同体への善意は生まれない。

 俺の闘いは、共産主義者も含む万民に公正をもたらすことであろう、と自覚している。
 創造とは、『 誰 か ら 奪 う こ と も 無 く 』与える作業だ。同時代にその作業が出来る者が見当たらないので、とりあえず俺がもたらす。

 とりあえず、起業支援サイトをもっと強化しよう。今のは、支援と呼ぶには具体性に欠ける。

 


 さよなら、青木雄二。 でもな、世界はもっといいものだぞ。 俺はそれを君の支持者達にこそ証明してやる。 

  眠り、融けて、地に還れ。

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